〈レディメイド〉について
────マルセル・デュシャン
2023/08/24
1913年、キッチンのスツールに自転車の車輪を固定し、それが回転するのを眺めるという愉快なアイデアを思いついた。
数ヵ月後、冬の夕暮れの風景を描いた安物の複製画を買った。地平線のところに小さな点をふたつ、赤い点をひとつと黄色い点をひとつを加えて、私はそれを《薬局》と呼んだ。
1915年のニューヨークでは、金物店で雪かきを買ってきて、それに《折れた腕の前に》と書き込んだ。
だいたいその辺りで、これらの表明形式を指す用語として〈レディメイド[readymade]〉を思いついたのだ。
とにかくこれだけは分かってもらいたいのだが、これら〈レディメイド〉の選択は決して美的満足に導かれたものではなかった。
選択は視覚的無関心[visual indifference]の反応に基づくものであり、そこでは良い趣味も悪い趣味も一切関与しなかった。ようするに完全なる麻痺状態[anesthesia]においてなされたのだ。
重要な特徴といえば、時折〈レディメイド〉の上に刻む短い文ぐらいだ。
そういった文は、タイトルのように対象を説明するのではなく、より逐語的[verbal]な別の領域へと観客の心を運ぶよう意図されていた。
ときには、いきいきとした表現ディテールを加えようとすることもあった。頭韻への渇望を満たすため、こういう例は〈補助つきレディメイド[readymade aided]〉と呼ぶことにしたい。
またあるときには、芸術とレディメイドのあいだの基本的な二律背反を暴露するために、〈相互的レディメイド[reciprocal readymade]〉というのを思いついた。レンブラントの絵画をアイロン台として使うのだ!
この表現形式を見境なく繰り返すことの危険性はすぐに悟ったので、〈レディメイド〉の制作は年に数回だけにしようと決めたのだった。そのときから私は、芸術家以上に観客にとって芸術とは中毒性のある麻薬であることに気づいていた。そういった汚染から私の〈レディメイド〉を守りたかったのだ。
〈レディメイド〉のもうひとつの側面は、唯一性の欠如である。〈レディメイド〉は、レプリカであっても同じメッセージを届ける。実際、今日存在している〈レディメイド〉のほとんど全てが、ごく慣習的な意味においてオリジナルではない。
このうぬぼれた言説に、最後にもうひとつだけ付け加えよう。
画家が使用する絵の具のチューブは、製造された既製品だ。したがって、こう結論しなければならない。世のなかにある絵画はすべて〈補助つきレディメイド〉であり、また、アッサンブラージュの作品なのだ。
以上は、1961年10月19日にニューヨーク近代美術館「アッサンブラージュの芸術」展のパネルディスカッションに登壇したマルセル・デュシャンによる、短いスピーチの全訳です。1966年に『Art and Artists』という雑誌に掲載され、1975年に刊行された『The Essential Writings of Marcel Duchamp』などにも再掲されています。確認できていないですが、『マルセル・デュシャン全著作』(1995, 未知谷)に翻訳が載っているようです。
レディメイドのテーマを解説するものとして、わりとよく引かれている文章です。スピーチでは、レディメイドがいかにそれ以前の美的で趣味を重んじる芸術から乖離しているかが強調されていますが、岩見 (2014)や小田部 (2020: 53–61)が指摘するように、これは同時代にブイブイ言わせていたグリーンバーグの芸術観に対する逆張りという側面がけっこうあるようです。《泉》を発表していわゆるリチャード・マット事件を引き起こした1910年代には、デュシャンもその取り巻きも、ふつうにアイテムの曲線美や艷やかな質感を愛でていたことを示唆する文章が、それなりに残っているらしいです。
1920年代以降、デュシャンは芸術がどうでもよくなってチェスばっかりやっていたのですが、何十年も後になってラウシェンバーグらネオ・ダダの芸術家たちに"発見"され、アッサンブラージュ展でのスピーチに至ります。レディメイドについての説明は少なからず後づけなのですが、若い芸術家たちへのリップサービスなのでしょう。